【3】第十四世本因坊跡目の襲名(18歳~20歳)

 
 秀策の棋力と人柄を高く評価していた本因坊家は、秀策を正式な後継者としようとしました。名誉な話とはいえ、秀策は自分か浅野藩士の籍があることから頑なに固辞します。諦めきれない本因坊家は、礼を尽くし浅野本家と三原城主忠敬の両方から了解を得て、秀策に後継者の話を持ちかけ承諾を得ます。

 こうして正式な跡目相続の手続きが行われ、江戸城で徳川家慶にお目見えし、第十四世本因坊跡目として披露されました。この後すぐに六段位を受け、丈和の娘花との婚姻も約束されました。

 こうした一連の歓びを世話になった人達に報告するために、秀策は三度目の帰郷の旅に出ました。

●跡目相続を祝した食膳

本因坊跡目相続と結婚を祝して、父輪三が購入した食膳。秀策が帰省時に使用していた。

 

●「高久隆古画人物」画副

秀策の本因坊家跡目相続を祝して贈られたもの。

●邨岩雲敬玄画老梅瑞鳥画幅

秀策遺愛の画幅の中で最古の画幅

 
本因坊算砂

本因坊算砂(1559~1623)

三人の天下人に使えた算砂

 本因坊家の開祖である本因坊算砂は、もともと京都の僧侶で、囲碁の名手としても名高い人物でした。

 織田信長は上洛の際、算砂の対局を観戦し「名人の所作」と褒め称えました。また豊臣秀吉が囲碁の御前試合を二度開催しますが、二度とも優勝したのは算砂でした。さらに徳川家康とは囲碁の手合わせをするとともに「名人碁所」として重用されました。このように三人の天下人に仕え、三人から称えられた算砂は、まさに名人中の名人といえるでしょう。

 本因坊の名は、修行していた寂光寺本因坊から得たといわれています。

本因坊秀策


本因坊秀策囲碁記念館

尾道市因島外浦町121-1
 
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午前10時-午後5時
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毎週火曜日・年末年始
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尾道市囲碁のまちづくり推進協議会