村上文祥(元アマ本因坊)
アマ本因坊戦優勝5回、アマ十傑戦優勝6回を誇る因島出身のアマ古豪
略歴
尾道市因島土生町塩浜生まれ。土生小学校―旧制尾道中学校―因島高校―早稲田大学。高校時代から県代表、早大囲碁部主将。1955年荏原製作所入社。1960年アマ本因坊戦優勝5回。アマ十傑優勝6回。日米、日中、日韓囲碁交流メンバーとして活躍。1994年同社副社長。1999年4月17日逝去。日本棋院より八段位追贈。
郷土因島の囲碁発展に貢献
村上文祥氏は、早稲田大学在学中から囲碁の強豪とうたわれ、アマチュア本因坊戦優勝5回、アマ十傑戦に6回優勝されるなど、日本アマ囲碁界を代表する棋士であると共に、重鎮として活躍しました。
旧因島市が、市技に制定した「囲碁」を通じての街づくりを推進する時、村上文祥氏は日本棋院、囲碁関係者との太いパイプを生かし、ビッグタイトル戦の招致、各種大会におけるプロ棋士の招へいなど、先頭に立って尽力。囲碁界の三大タイトルといわれる「本因坊戦」、「棋聖戦」が旧因島市で開催されたのも、村上文祥氏の努力による所が非常に大きいと言われています。
「本因坊秀策囲碁まつり」も、現在では全国から多数の参加者が集まる大会に育っていますが、当初は運営に非常に苦労していました。村上文祥氏はその様な状況の中、ゲスト参加すると共に、親交のある著名な棋士を同行し大会を盛り上げるなど、この祭りの育ての親と言われています。
村上文祥氏の囲碁文化を通じ郷土・因島発展に貢献された功績に対して、1999年(平成11)7月31日に旧因島市から特別功労章が贈られました。