囲碁教室の年譜
社会の主なできごと | 年号 | 年齢 | 秀策年譜 |
---|---|---|---|
シーボルト事件 | 文政12年 (1829) |
1 | 秀策誕生(現在の尾道市因島外浦町)。幼名は、桑原虎次郎。幼少時代、母より囲碁の手ほどきを受ける。 |
天保4年 (1833) |
5 | 尾道の豪商橋本竹下と出会う。竹下は秀策の棋才を見抜き、以後支援を受ける。 | |
天保6年 (1835) |
7 | 三原城主浅野忠敬と対極。城主のすすめで本格的に囲碁指導を受ける。 | |
天保8年 (1837) |
9 | 江戸へ出て十二世本因坊丈和の門に入る。 | |
天保10年 (1839) |
11 | 初段の免状を受ける。 | |
中国にてアヘン戦争勃発 | 天保11年 (1840) |
12 | 因島へ初めての帰郷。 |
天保12年 (1841) |
13 | 大阪にて中川五段と対局。好成績が認められ二段へ昇進。 | |
天保13年 (1842) |
14 | 三段へ昇進。 | |
天保14年 (1843) |
15 | 四段へ昇進。この頃より秀策流とよばれる一、三、五の布石を用いる。 | |
弘化3年 (1846) |
18 | 大阪にて十一世幻庵因碩と対局(耳赤の一手)。江戸へ帰還して五段へ昇進。 | |
嘉永元年 (1848) |
20 | 十四世本因坊跡目継承。本因坊丈和の娘花と結婚。六段へ昇進。 | |
嘉永2年 (1849) |
21 | 初めての御城碁へ出仕し勝つ。以後12年間、御城碁無敗の十九連勝を成し遂げる。 | |
浦賀にペリー来航 | 嘉永6年 (1853) |
25 | 太田雄三と三十番碁をはじめ、二十三局終える。七段へ昇進。 |
安政4年 (1857) |
29 | 因島へ四度目の帰郷の折に、幼少時に使っていた碁盤に揮毫(きごう)する。 | |
安政の大獄はじまる | 安政5年 (1858) |
30 | |
勝海舟、咸臨丸で渡米 桜田門外の変 |
万延元年 (1860) |
32 | |
文久元年 (1861) |
33 | 母カメ死す。秀策は追善のため百ヶ日の精進生活に入る。 | |
江戸中にコレラ大流行 | 文久2年 (1862) |
34 | 8月10日本因坊家でコレラにて病疫す。 |
秀策顕彰碑建つ (三原市糸崎) |
嘉永6年 (1853) |
||
秀策の対局をまとめた 「敲玉余韻」編纂 |
明治33年 (1900) |
本因坊秀策
本因坊秀策囲碁記念館
尾道市因島外浦町121-1
●お問い合わせ先
TEL 0845-24-3715
●開館時間
午前10時-午後5時
●休館日
毎週火曜日・年末年始
カレンダーをご確認ください。
尾道市囲碁のまちづくり推進協議会