【2】江戸 本因坊家へ入門(9歳~17歳)

 三原城主浅野忠敬は、秀策の才能を伸ばすため、囲碁の指南役として芸州一の碁豪葆真和尚に指導を依頼しました。葆真和尚は漢学や画道にも秀で、秀策は囲碁と共に学徳も磨かれていきました。

 秀策の棋力は、やがて葆真和尚をしのぐほどになり、忠敬は江戸での修行先を探し、本因坊家への入門を取り計らいました。

 九歳にして江戸の本因坊家に入門すると秀策は、修行として道場の掃除や来客の接待、師匠の送迎やお伴などをしながら、兄弟子との手合わせや棋譜の研究など人一倍努力を重ねていきました。この頃のある日、名人丈和が兄弟子と対局中の秀策の碁に目をとめ「百五十年来の碁豪」と絶賛したと伝えられています。

●栄斎 初段の免許状


十一歳の時に与えられた。 栄斎は秀策に改名する前の名前。
 

●二段の免状


大阪の強豪中川順節五段に勝った成果として十三歳で与えられた。
 

●四段の免状

天保十四年十月、十五歳の時に与えられた。
 

●秀策への改名許可証


第十三世本因坊家元の丈策と跡目の秀和からそれぞれ一文字ずつを貰い「秀策」と改名した。
●天保十四年版 日本国中囲碁名鑑

秀策の名は四段位の欄にある。
 
●書幅

秀策十六歳の筆跡書幅(左) 秀策が寛斎と名乗っていたころ、弘化元年江戸において、故郷を思って書いたもの。
頼聿庵「詠虎次郎」書幅(右) 秀策十七歳、二度目の帰郷の際、頼家を訪ねて、頼山陽の長男聿庵からこの書幅を贈られる。
 

江戸時代の囲碁の段位

 当時は専門棋士としての段位は初段から七段まであり、最高位七段になると剃髪して僧侶となり公儀より扶持をいただくようになる。

 天保十四年の「囲碁姓名録」によれば、初段以上の有段者は全国で258名、四段保持者は、四家所属棋士全部でわずか11名でした。15歳の若さで秀策が四段を取得していたことは、驚異といえます。

本因坊秀策


本因坊秀策囲碁記念館

尾道市因島外浦町121-1
 
●お問い合わせ先
TEL 0845-24-3715
●開館時間
午前10時-午後5時
●休館日
毎週火曜日・年末年始
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尾道市囲碁のまちづくり推進協議会