【5】巨星急逝(34歳)
ある日秀策に母の訃報が届きます。その報せは、驚きとともにいいようのない悲しみと無常観を与えたといいます。秀策は、追善供養のために精進生活に入り、一切の肉や魚類を絶つ生活を送リました。
その年、江戸ではコレラが大流行し、大所帯の本因坊家でも多くの患者が発生しました。秀策は自らの危険もかえりみず看病にあたり、精進による体力の衰えもあったのか、コレラに感染して逝去してしまいます。享年三十四歳という若さでした。
囲碁史上最強ともいわれた秀策。その卓越した棋力に加え、清々しい生き方と温厚な人柄により、いつまでも人々に愛され語り継がれています。
三人の天下人に使えた算砂秀策の顕彰活動
秀策死後、多くの棋士や囲碁ファンが彼の遺徳を偲びその顕彰活動を続けています。
中でも芸州の弟弟子である石谷広二は秀策の顕彰碑を建てることをすぐに決意し、地元広島、三原、尾道、江戸の本因坊と駆けまわり、浄財を集めて三原市の糸崎神社に顕彰碑を建立しました。また後年には、秀策の名棋譜集「敲玉余韻」を編纂出版しました。
本館に隣接する顕彰碑は、秀策の親族と地元因島七町村が一丸となって建立したもので、大正15年に完成しました。
また近年では、東京の囲碁殿堂資料館の初代殿堂入り四名に選ばれたことや、人気漫画ヒカルの碁に登場したこともあり、その遺徳はさらに多<の人に広がっています。
秀策死後、多くの棋士や囲碁ファンが彼の遺徳を偲びその顕彰活動を続けています。
中でも芸州の弟弟子である石谷広二は秀策の顕彰碑を建てることをすぐに決意し、地元広島、三原、尾道、江戸の本因坊と駆けまわり、浄財を集めて三原市の糸崎神社に顕彰碑を建立しました。また後年には、秀策の名棋譜集「敲玉余韻」を編纂出版しました。
本館に隣接する顕彰碑は、秀策の親族と地元因島七町村が一丸となって建立したもので、大正15年に完成しました。
また近年では、東京の囲碁殿堂資料館の初代殿堂入り四名に選ばれたことや、人気漫画ヒカルの碁に登場したこともあり、その遺徳はさらに多<の人に広がっています。
本因坊秀策
本因坊秀策囲碁記念館
尾道市因島外浦町121-1
●お問い合わせ先
TEL 0845-24-3715
●開館時間
午前10時-午後5時
●休館日
毎週火曜日・年末年始
カレンダーをご確認ください。
尾道市囲碁のまちづくり推進協議会